手を合わす

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手を合わせる

合掌

修行中、托鉢をしている時のことです。とある町で7歳くらいの女の子に喜捨して頂いたことがありました。
 
私が「財法二施 功徳無量・・・」と偈文を唱えている時、女の子は目を閉じ静かに手を合わせています。その時「手を合わせる姿というのは、なんて尊い姿なんだろう」とかえって自分の心が救われた気持ちになったことがありました。

手を合わせるとは

手を合わせることを合掌(がっしょう)といい、インドにおいて右手を神聖な手、左手を不浄の手として使い分ける習慣がありました。
 
両掌を合わせるということは、人間の中にある神聖な面と不浄な面とを合一したところに、人間の真実の姿があるとされています。
 
托鉢の時、女の子の手を合わせる姿が尊く見えたのは、おそらく人間の真実の姿が垣間見えたからなのかもしれません。

形から入って心を調える

道元禅師のお言葉に「身の威儀(いいぎ)を改むれば、心も随って転ずるなり」(正法眼蔵随聞記)がございます。意味は、身のふるまいを改めれば、心も変わってゆくということです。
 
修行道場においては合掌礼拝が特に大切にされています。仏様と対面する時、廊下で僧侶とすれ違う時、食事の時、東司(トイレ)・浴司(お風呂)に入る時、寝る時などなど。手を合わすという形から入ることが心を調えることになり、それが修行に通じているのです。

はきものをそろえる(故藤本幸邦老師作)

はきものをそろえると
心もそろう
 
心がそろうと
はきものもそろう
 
ぬぐときに そろえておくと
はくときに 心がみだれない
 
だれかがみだしておいたら
だまって そろえておいてあげよう
 
そうすればきっと
世界中の人も心もそろうでしょう


手の合わせ方

手の合わせ方

曹洞宗の信仰実践の基本は、端坐(たんざ)・合掌(がっしょう)・礼拝(らいはい)です。
 
食事の前後でしたら、「いただきます」「ごちそうさま」
お仏壇やお墓の前でしたら、「南無釈迦牟尼仏」または「南無帰依仏 南無帰依法 南無帰依僧」(なむきえぶつ なむきえほう なむきえそう)とお唱えします。
 
手の合わせ方は、肘は張りすぎず、脇は拳一個分開けます。同じく鼻先と中指の先の間も拳一個分開るといいでしょう。礼拝は腰から上体を前に傾けておじぎをします。

数珠のかけ方

数珠は称名や真言を唱える時の回数を数えるためのもので、珠を一つ一つ触れるごとに仏様を念じることから念珠ともいいます。珠と珠をつないでいる一本の糸はお釈迦様の悟りの心を象徴していることから、仏教徒にとって大事な法具となっています。
 
珠の数は108個(煩悩の数)を基本としておりますが、結構な長さになるため半分の54個、36個、27個、18個というのもあります。
 
手を合わせる時は、親指と人さし指の間に、または左手の四指にかけます。経本を渡された場合は、左手首にかけます。歩く場合は、左手に持ちます。数珠を畳の上にじかに置くといった粗末な扱いはしないようお願い致します。

焼香の仕方

①香炉の前で手を合わせます。
②左手は片手合掌、右手(人差し指・中指・親指)で抹香をつまみ、ひたいで念じてくべます。これを主香(しゅこう)といいます。
③次に、抹香をひたいで念じず添えるようにくべます。これを従香(じゅうこう)といい、合わせて2回抹香をくべることになります。
④最後に手を合わせて席に戻ります。

食事の時も手を合わせましょう

漢数字の八十八を合わせて米と書きます。お米はたくさん(※八十八)の段階を経て食卓に上がるわけです。食事の前に手を合わせ感謝していただきましょう。
 
五観の偈(ごかんのげ)

一つには功(こう)の多少を計(はか)り、彼(か)の来処(らいしょ)を量(はか)る
(いま、口に入れようとしている食事はいただくまでに、いかに多くの人々の手数や苦労があったかを深く考え、感謝していただきます)

二つには己(おのれ)が徳行(とくぎょう)の、全欠(ぜんけつ)を忖(はか)って供(く)に応(おう)ず
(私たちはこの食事をいただくような行いをしているかどうか、深く反省していただきます)

三つには心(しん)を防ぎ過(とが)を離るることは、貪等(とんとう)を宗(しゅう)とす
(うまれながらにしてもっている美しい心をくもらす、むさぼり、いかり、ねたみの三毒をおさえ、修行の心をもっていただきます)

四つには正に良薬(りょうやく)を事(こと)とするは、形枯(ぎょうこ)を療(りょう)ぜんが為なり
(食事はたんに空腹を満たすためではなく、私たちの身と心の弱まりを治す良薬であるから、正しい目的をもっていただきます)

五つには成道(じょうどう)の為の故(ゆえ)に、今(いま)此(こ)の食(じき)を受く
(いまいただく食事は、身心ともにすこやかに、仏の道を成ずるため、ともに理想をもっていただきます)

形から入る

人間生きていれば心が落ち着かないこともたくさんあると思います。そんな時は、自分ひとりでこの世を生きているのではなく、多くの命によって支えられ生かされているのだという気持ちになって食事の前後、あるいはお仏壇の前で手を合わせてみませんか。
 
意識で心を変えるのは難しいかもしれませんが、かえってあれこれ思うよりも手を合わせるといった形から入る方がいいのかもしれません。(※強制ではありません)

道元禅師のお言葉

「身の威儀(いいぎ)を改むれば、心も随って転ずるなり」
(身のふるまいを改めれば、心も変わってゆく)

(正法眼蔵随聞記)