瑞雲寺だより(14号)

4月8日地鎮式

4月8日はお釈迦様の誕生日、甘茶をかけて祝いましょう。
お釈迦様の誕生日の後に、今度建てる観音堂の地鎮式を厳修しました。
風がとても強い日でちょっとした地鎮式中トラブルはありましたが、無事に終わりました。

4月26日観音講の祭典

4月26日毎年恒例の観音講の祭典が行われました。
大勢集まりました。
祈祷の後講師に引地昭夫さんをお招きして金山の伝説についてお話されました。

伝説・掛田御前(鏡ヶ井戸)
 金山の殿様中島公の先祖は掛田公の家来でしたが、伊達公と掛田公が戦をしたとき伊達公に味方して掛田の家を滅ぼして褒美に金山を貰ったそうだ。その頃中島公は保原に住んでいたが、金山に移るとき掛田公の奥方で掛田御前というそれはそれは美しい人を連れてきたそうだ。掛田御前には「おえん」「おさく」という女の子供がいて、この二人も一緒に金山に連れてこられたそうだ。掛田御前は大層美しい人だったから、殿様は御前に懸想して色々と言い寄って、何とかなびかせようとしたがなかなか言う事は聞かなかった。そこで殿様は掛田御前の子供の「おえん」を山中に連れ出して殺してしまい、言うことを聞かないと「後の子供も殺すぞ」と脅した。しかし掛田御前はそれでも言うことを聞かなかったのでのこった「おさく」を黒森の近くの山で殺してしまった。「おえん」を殺した山中の平地が「おえん平」、「おさく」を殺したところが「おさく平」と今でも呼ばれている。
 二人の子供を殺されてしまった掛田御前は、生きる望みもなくしてしまい毎日泣き暮らして、だんだんやせ細ってしまい、ある夜城の近くにある鏡ヶ井戸に身を投げて死んでしまった。このとき掛田御前は中島の仕打ちを怨んで、この家に七代祟り子孫を絶やしてやると呪ったという。
 それからというものは中島家に呪いがかかって、夜な夜な帯ほどもある大百足が殿様や奥方の寝どころに現れて悩ましたという。その他色々と異変が起こって、中島家には男の子供が生まれず、生まれても小さいうちに死んでしまって男の子は育たなかった。
 大変恐れた殿様は、田辺に長泉寺を建てて掛田御前の供養をしたということであるが、それでも代々男の世継ぎがなくて他家から養子に入った人が続いて居る。


以上が金山近辺で話されている掛田御前伝説の筋書きである。この話は、掛田御前・鏡井戸・鏡池などと言っている。

結論
○この話は作り話です。
○掛田御前は二人いました。
○掛田御前は中島家初代の殿様・奥様・二代目の殿様と一緒に高野山に祀られています。
○掛田家系統の父と中島家系統の母を持つ女性の子が中島家五代目の殿様です。
○田辺の長泉寺にある掛田御前の位牌は中島家五代目の殿様が作ったものです。
○掛田御前の家来たちはのちに御預足軽になりました。
○「おえん平」は御林平が訛ったものだと思います。
○この話は幕末の百姓一揆が盛んだった時分に作られたものだと思います。
○福島県の小手方面に掛田御前伝説に似たような話があります。

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