虎捕山山津見神社 福島県相馬郡飯舘村
虎捕山山津見神社 福島県相馬郡飯舘村

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山町を散策しているとき、虎捕山山津見神社の御札をところどころで見ることができます。御札には白狼が描かれていており、なぜ狼なのか知りたいところでした。また狼と虎との因果関係もはっきりさせたかったので、虎捕山山津見神社に行ってきました。虎捕山は全山が石山で、危険防止のため鎖場・鉄はしごなどがあります。低い山ですが、とても見晴らしがよく登っていて楽しい山でした。

虎捕山山津見神社にはこのような伝説が伝わっています。

御一條帝の御代(約九百年前)真野の里に生まれ育ったといわれる橘墨虎という悪者がおりました。墨虎はひとなみはずれて大きく、神通にたけた豪の者で常に部下をひき連れて村落を行き来し民家を襲って財物を強奪し、「墨虎の通る時は駅民皆縮みあがり逃げ惑う」状態となり良民は大いに難渋しておりました。

墨虎は霊山に物見台を設けて遠近を一望(物見台から大張と連絡を取っていたものと思われます。詳しくは旗立て石を参照)するなど、勢力益々強大となり、当時の豪族たち皆墨虎に服従して朝命に従わず、まさに猛虎の如き勢いとなりました。

御冷泉帝の御代永承六年、源頼義公奥境鎮守のため下向し掛田に陣したとき、人々達悩みを訴えて墨虎を退治して難を除き給えとお願いしましたので頼義公は部下に命じ墨虎を討たせる事になりました。

墨虎は霊山の嶮によりよく戦いましたが遂に敗れ、一人で亘理(宮城県)まで逃れましたが、また、立ち戻って隠れたり現れたりして捕らえる事が出来ず、さすがの頼義公も大いに悩んでおりましたところ、ある夜夢の中に山の神が現れ「墨を獲んと欲せば白の足跡をふみ追うべし」とお告げになられました。

頼義公は直ちに臣藤原景道に追跡を命じました。景道は里人菅野蔵人、今神助右エ門を道案内として山中に入り嶮しい山々、荊棘の中を踏み分けて探ね歩いてゆくと、果たして獣跡が点々と一きわ高くつきたった巌石に向かって続いており、これを辿って遂に岩窟(籠石)に潜んでいた墨虎を見つけました。

景道は憤然として「墨虎天罰まぬがるべからず朝命の刃に伏せ」と叫びざま、逃れようとする墨虎めがけて短刀を擲って背より腹に刺し貫きました。

遠近始めて安堵、頼義公大いに山神の威徳を感じ、山頂に祠を建て虎捕山神と御名を称えてお礼致しました。

後、国司北畠顕家郷城を霊山に築かれた時頼義公の遺績を敬重しかつ大神の威徳によりしばしば勝ち戦したので篤く崇敬したと云われます。墨虎を捕らえた事から虎捕山と呼び、刺は佐須と云う地名になったと云われます。(山津見神社のパンフレットより抜粋)

悪者と言われた橘墨虎ですが一方では・・・

丸森町大張の旗立て石の言い伝えでは、「動物まで駆り出して村人が一致団結し頼義、義家軍を迎え撃った」と言う話があります。また荒保春著「前九年役」では「前九年役を記録した「陸奥話記」は、勝者側に偏った記述だけで、勝てば官軍の朝廷側にのみ味方し、安倍側については、縄文人(狩猟民族、山岳民族)という理由で、蝦夷俘囚と呼んで見下し、終いには凶賊として取り扱っています。しかし、逆賊として死んだ平将門も相馬地方では妙見神社として祀られ、土着の民百姓より神として崇められています。また、佐須の山神橘墨虎も凶賊として取り扱われていますが、墨虎は安倍方(亘理、伊具軍)の武将で決してただの凶賊、悪者ではなかったと考えられると述べています。」(炎はほのかなれどより抜粋)

今回、旗立て石、虎捕山を通じて、勝者側・敗者側両方の立場の歴史を学ぶことができました。これからも隠された歴史を探求していけたらと思います。

虎捕山 山津見神社拝殿
黄色い丸をしたところに、山津見神社の本殿があります。しかし遠くから見てもこれだけの大きさ!なんだかわくわくしてきました。
山津見神社の鳥居と杉並木。左右対称な神社の風景がとても好きです。
山津見神社拝殿。
橘墨虎を捕らえるきっかけとなった白狼。最初狐かと思っていました(^^ゞ パンフレットを読んで狼と虎の因果関係がはっきりしました。
山津見神社拝殿横にあった巨石。結構大きいです。
神社で参拝し、虎捕山登山開始。
矢印の通りお進みください。
早速、巨石のお出迎え。
まだ登り始めというのにこの巨石!
とてもかわいい猫みたいな巨石。おそらく耳にあたる部分の石は誰かが置いたのでしょう。
手水舎。これより上には水場がありません。
とても綺麗な水を頂きました。
橘墨虎が捕らえられた虎捕洞
木で出来た鳥居の後ろには巨石がごろごろしています。
橘墨虎が捕らえられたという、虎捕洞。
かなり大きな石です。
虎捕洞内部。大人3〜4人は入れるかと思います。
鎖 場
この鎖が無ければ登るのにかなり苦労するのではないかと思います。鎖がありがたいです。
鎖と梯子を寄付した方の名前。「掛田村 安田利作 敬白」と彫られています。掛田村と彫られていることから、かなり以前の梯子ということになります。
この梯子は明治九年(1876年)に奉納されたものです。百年以上経っているものなのにしっかりと作られているのに驚きを禁じえませんでした。
虎捕山 山津見神社本殿
頂上手前にある巨石。まさに自然の造形美!
写真で見ると、あまり急には感じませんが、梯子がないとかなりきついです。
山津見神社本殿。後ろの巨石が素晴らしい。
山津見神社の額。
本殿後ろの巨石。
巨石の上はちょっとした広場のようになっています。
巨石と祠。
薄く山神と彫られています。
福島方面の風景。
吾妻小富士。ちょっと荒れている模様です。
橘墨虎が物見台を築いた霊山。ここから、大張にある旗立て石と連絡を取っていだろうと考えられます。
巨石と記念撮影。
もし、落下防止の鎖が無かったらかなり怖い場所です。
ここで、昼食を食べました。
金 華 山
かなり頑丈な鎖。
金華山の巨石にあった祠。
金華山の巨石から見た風景。
金華山方面から見た、虎捕山。このように尖がっていると、岩に雷が幾度となく落ちたことでしょう。岩に雷が落ちたらどうなるか見てみたい私です。
金華山の巨石と記念撮影。巨石の上には怖くて登れませんでした。
途中にあった気持ち悪い木。
おしまい
今日は天気もよくとても楽しい虎捕山登山でした。
パンフレットより
Mapion
国道115号線を走行していると「虎捕山山津見神社」の大きな看板が見えてきます。虎捕山は低い山ですが急斜面は岩がごろごろしていますので足を踏み外したりしないよう細心の注意を払ってお登りください。
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