幻の亀石 角田市藤尾
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喜
松院の方丈様とお話をする機会があった時に、「本堂(喜松院)の裏側に大きな石碑があるから見学してみたら?」と言われ、方丈様案内のもと石碑にまつわるお話をたくさんして頂きました。あまりにも大きくて立派な石碑でしたので、私は方丈様に「この石はどこから運んできたものですか?」と質問したところ、明通峠の途中にあった
亀石
を割って造ったものであるとの解答でした。更に私は「亀石のあった場所にまだ石はありますか?」と質問したところ、今は何も無いとのことでした。
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藤尾の里の伝承と史談
によると
「宝暦年間の封内風土記に『地区内に石一−亀石』とあり、文政の御書上には『名石一つ−亀石』と記録されている。明通峠への中腹(現県道と旧県道との間)に亀の形状をした巨大な花崗岩があった。
昔(正徳二年)この石の半面を割って喜松院墓地内に建つ恕軒大町先生の碑を造ったと伝えられている。
碑は中央が厚い凸面で、高さ三.五メートルの大きな棹石だが、少し小形ながら凹面に彫られた夫人の頌徳碑更に夫婦別の墓石にそれに夫々の台石と皆亀石から割り出したのだから相当の量で、亀石は余程大きなものだったと思われる。
沢沿いに下りを曳いて、北沢が仙石沢と合流する佛供田まで運んでから、寺岡北山(現佐藤政也邸裏山)に登せ、彫刻したと伝えている。
亀石が割られた際、その割目より鮮血が滴り出て石工を驚かしたとか、亀石が泣く呻き声が夜な夜な聞こえたとも言われたが、後世の人は『石が泣いたのではなく運搬等の作業に駆り出された民衆や石工が泣いたのが事実だろう』と評した。」
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東根村々風土記書上
によると
「一、名石 一つ 亀石」
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仙台藩封内風土記
によると
「峠路に奇石あり」
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藤尾村誌
によると
「明通峠の中腹にありて形状亀の如し、高さ七尺幅一丈五尺ありしか、明治二十四年に至りこの石を割りて高魂神社の鳥居を造れりと
往昔はこの石の半面にて恕軒大町氏の碑となしたり、して、その割れ目より鮮血したたり石工を驚かしめたりとか、言い伝ふるも明治年代には、この事なかりしや」
ということで亀石ゆかりの場所を訪れてみました。
亀石の絵
保志淳一先生筆の亀石。
亀石は里人の自然崇拝、民俗信仰の対象であった。(鎮守の森より抜粋)
亀石で造った石碑
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藤尾の里の伝承と史談
によりますと
「恕軒大町先生の碑は
1.大きな花崗岩を材料とした数少ないもの
2.碑身を台石にはめ込んだ設計・施工の優れた技術
3.四十七行二千二百字余の例をみない長文
4.碑文の撰者・書者は共に藩の有名な儒学者である
等の点で『近隣に類例を見ない特別な碑である』と市文化財保護委員の渡部美津丸先生も認めている。
大町氏の碑を割り出した後も、その形状は亀の如くで長さ四メートル余高さ二メートルを超えていた。」
喜松院墓地に建っている大町恕軒先生の碑。
高さ3.5メートル。
真ん中の大きい石碑だけではなく外の石碑、台石等も亀石から造られたそうです。
大町恕軒先生の碑の裏側。
この石碑は市の重要文化財の指定を受けています。
二千二百余字も刻まれた碑文は外に無いそうです。
碑文撰者、遊佐好生(ゆさこうせい)
書、蜂屋可敬(はちやよしのり)
共に仙台藩の儒者
大町恕軒先生の碑と私。
以前テレビで、重さ数トンの石を丸太と数十人の力で石を運ぶところを見たことがあります。結局時間切れで、所定の位置に運ぶことは出来ませんでした。この大町恕軒先生の碑、機械も重機もない江戸時代にどのように運んできたのかとても興味深いです。
喜松院墓地内に建っています。
亀石で造った鳥居
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藤尾の里の伝承と史談
によりますと
「明治二十四年、亦亀石を割って今度は金津高魂神社(たかだまじんじゃ)の石鳥居を造った。(現在の鳥居)今度は呻き声を聞かなかったが、地上に露出した亀の形は殆ど無くなった。」
金津中学校近くの高魂神社。
残りの石で鳥居を造ったというくらいだから、相当大きな石だったのでしょう。
鳥居には、「明治二十六年四月七日 石工 当村 犬飼豊之進」と彫ってあります。
金津中学校の近くに高魂神社があります。
亀石のあった場所へ行ってみました
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藤尾の里の伝承と史談
によりますと
「この珍重された奇石が埋もれるのを惜しんだ人々の協力を得て士族(石工)仙石市平はこの石の傍らに『亀石神社』と『山の神』の石碑を彫って建てた。現在、亀石は見られず、この小石碑だけ山中に立っているが、お詣りする人も無くなった。」
まっすぐ行くと明通峠です。
ガードレールとガードレールの隙間があるので、そこから矢印のように降りて下さい。
上の写真ではわかりずらいので、横から撮影してみました。
ガードレール下は、ゴミでいっぱいでした。これでは昔の道が泣いています。
荒川庄助氏がおっしゃるには、黄色い線で示しているのが昔の道だったそうです。
県道の下の雑木林にひっそりと建っている二つの石碑。今では誰も歩く人もおりません。左は蚕の供養碑。
明治26年3月、仙石市平によって建てられた、亀石神社・山神社碑。
石碑に亀石神社とありますが神社があったわけではないとのこと。
市平は仙台藩士で戊辰戦争、西南戦争に参加した人で、明治維新以後集落内で石工をやっていたそうです。(鎮守の森参照)
県道の下にあります。
おまけ
亀石のあった場所より上にある四方山へ行ってきました!
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東根村々風土記書上
によりますと
「一、名山 四方山」
昔より、名山として知られていたようです。
四方山にある展望台。
中学生の頃遠足で来ました。
展望台より山元・相馬方面を見てみました。
角田方面。ロケットが見えます。
丸森の金山方面を見てみました。鬼形山・お富士山・羽山を見ることができます。
今度は、岩沼・名取・仙台方面を見てみました。日本製紙工場の煙が印象的です。
天気は良かったのですが、蔵王の山には雲がかかっていました。
なんと!大和町の七つ森が見えました。なんとなく龍の背中に見えませんか?
遠くにみえるは金華山です。
四方山へは車で行くことができます。見晴らしはとても素晴らしいですよ!
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