姥石 丸森町舘矢間
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姥
石という、いつも丸森橋(モダン橋)を通るたびに気になっていた巨石を探検してみました。余談ですが姥石がある丸森橋(モダン橋)の十字路には信号機がありません。大張側から右折する時とても大変なので、信号機があると便利なのですが、なぜ無いかというと、モダン橋はその名のとおり、その当時モダンな橋だったそうです。橋の出来た碑文を読んでみると昭和4年と彫られていました。もし信号機をつけるとなると車の重さで老朽化したモダン橋が落ちてしまうということで現在でも付けないようです。
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伊具郡西根舘山村 風土記御用書出
「小館前 一
大姥石
高一丈一尺 廻リ八丈。 同所 一
小姥石
高六尺 廻り五尺。 同所 一
台石
高一丈二尺 廻り九丈五尺。 右何茂阿武隈中二有之水之増減により高並廻り共不同二御座候事」
意味は、大姥石・小姥石いずれも阿武隈川の中にあり水の増減によって石の高さ・廻りが変化すると言う意味であろうかと思います。
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姥石の伝説
「姥石 おばいし 舘山阿武隈川の北岸河中にある
大小二個
に分れ廻り六丈余の巨大石でその半面を水上に露出している。伝説には昔、村の若者が朝、草刈に行き藤の花に見惚れてる中に鎌を水中に落とした。鎌は巨石の水底に見えるので水中に飛び込んだ所、彼はそのまま帰らなかった。星は(月日は)移り物変わり幾百年、若者の家に一老翁が尋ねて来そして今までの経過を物語った。それは恰も浦島太郎龍宮物語と大同小異のそれであった。若者は巨石の奥の細道から水宮玉殿に至り四六時中春色暖かい夢の王国に遊んでは乙姫ならぬ美女に愛されて来たと・・・伝説そのまま」。(伊具郡史より
)
姥石というくらいですから、お婆さんと関係のある石かと思いましたがぜんぜん違っていました。そんな姥石に行ってきました。
姥石探索開始
姥石(おばいし)と書かれた木の説明があるためか、後ろの巨石が姥石と勘違いされている方が大勢いるようです。私もその一人でした。
鳥居と社。水と関係の深い弁財天がまつられています。
石碑群
皆さんが姥石と勘違いされております問題の巨石。これは風土記御用書出に書かれてある台石のことであろうかと思われます。かなり大きな石で土中深く埋もれています。
伊具郡史の写真にあった大姥石と小姥石。かなり大きな石ですね。橋を通っているのはその当時の車でしょうか?
現在の大姥石とモダン橋。モダン橋と言われただけあって素晴らしいデザインです。
絵図・地図で見る阿武隈川(平成19年発行)
によりますと「うば石を橋脚として、昭和4年に丸森橋が完工し、直ちにバスが開通した」とありました。
昭和61年の8月5日の豪雨はすごかったなぁ。
アイガモの餌付けをしているので撃たないでくださいね。
阿武隈川絵図の姥石
阿武隈川絵図(あぶくまがわえず)に姥石が描かれていました。
宮城県図書館所蔵、作成年は安政2年(1855年)
丸森橋(モダン橋)のたもとにあります。大きい石が見えるのでわりと簡単に見つけることが出来ると思います。
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