大張の由来 川張石 丸森町大張
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大
張の川張石は丸森町の郷土史本に結構紹介されているのですが肝心かなめの行き方や、石の写真が全然ありませんでした。もうこれは自分が行くしかないと思い、行ってきました。行くにあたって場所がわからなかったので川張石の近くに住んでいる方に聞いてから調査しました。聞くは一時の恥といいますが、もし迷われたら人に聞くのが一番速いですね。
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伊具郡西根川張村 風土記御用書出
「一 片倉 皮張石 高二丈四尺 廻リ五丈 右ハ小野篁卿並二人之猟師番二番三大猪御退治被成此石江皮を張付申由ニ而村名之由来ニ御書上仕候石ニ御座候事」
昔から名石として知られていました。
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伊具郡史
「古篁卿の倒した怪獣の皮を張りたりと伝へる皮張石なるものは下川張土寄邸の西方山中に在り又鏃を砥きたる砥石と称するもの二個上にあるものは上砥石邸の前路傍の田の中にあり、下にあるものは下砥石邸の付近にあり大蔵松の木内前の石橋を梵字橋と称す其石裏に梵字あり故に此名ありといふ。」
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川張石の伝説
「川張石と砥石 弘仁元年(810年)、背に苔がむし松や杉の木が生えている3メートルもある大猪がすんでいた。この大猪は村内はおろか近隣の村々の田畑を荒らして人々は困っていた。これを退治しようと京より小野篁が番二、番三という二人の猟師を引き連れて下向し、虚空蔵様のお力を借りて退治した。このとき使用した鏃(やじり)を砥いだ石が砥石であり、
大猪の皮をはいで張り付けた石が皮張石
である。それゆえ、皮張村と称したが、いつのころからか「
皮
」が「
川
」になった。」(丸森町文化財辞典より)
大張という地名は、おそらく
大
蔵村と川
張
村が一緒になって
大張
となったものと思います。ちなみに大蔵村の由来は、
伊具郡西根大蔵村風土記御用書出
によりますと、小野篁が虚空蔵堂を勧請し大蔵寺(臨済宗)を建てたのが始まりだといわれています。大張のキーワードは小野篁。
片倉トンネルを越えたあたりの風景。私はここから見える阿武隈川の風景が大好きです。
片倉の道祖神のあるところから登ります。登山道が無いため藪との格闘が待っていますが最初だけです、がんばってください!」
片倉道祖神のことは
こちら
途中、不思議な巨石に出会いました。
横から見たところです。まるでだるま落としのような巨石です。
最初上が平らなため、この巨石が川張石だと思っていましたが、私の直感が違うといっていたので、もうちょっと周りを探してみました。
巨石と自分。
この石が見えてくると川張石にまもなく見えてきます。
大張の由来となった川張石。やっと出会えることができたぁ〜!感激!!木や草が生い茂っているために、あまり上手に写真が撮れませんでした。
上の白い線は川張石の高さを示す線です。由来となった大切な巨石ですので見晴らしをよくしておきたいものです。
不思議な形をした川張石。川張石は一つかと思っていましたが、かなり大きな巨石が4〜5集まった巨石群のことだったのです。
反対側から見たところ。ちょうど日が沈むところでした。
後ろは登れるようになっていますが、松の葉で滑らないようにしてください。
かなりの大きさです。登ると恐怖を覚えました。大猪みたくここで死にたくないなぁ〜。
この平らなところで、大猪の皮を張ったのでしょうか?
川張石と自分。本当はもっとでかいです。
川張石の前にあった祠。伝説の川張石に出会えていい一日でした。
道路から見えるようになりました!
国道349号線から、川張石が見えるようになりました。
石に気を取られて交通事故起こさないようにして下さい。
国道345号線の片倉トンネルをすぎて、交通安全の大きい石碑が建っているところに車を止めるところがありますので、ここに駐車して片倉トンネル脇周辺から登ることをお勧めします。
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