上片山の巨石と三面供養碑 丸森町金山
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金
山の名品、金山紬は土染めを主としたもので、鉄分を含有する
上片山の土
が最適でした。江戸時代中期には、仙台藩の特産品として、広くその名が知られるようになったといわれています。その小富士山の麓の上片山に刀で割ったような巨石があります。敷地内であるMさんに聞いて見ましたが由来はわからないそうです。違う話ですが、何年か前、鉱物を勉強している学生がこの石を調べに来たことがあるといっていました。やっぱり小富士山・羽山の石質には何かがあるのでしょうか?
また、Mさんの敷地内には年代不明の三面供養碑があります。金山歴史散歩の写真では1メートル位の大きさにしか見えませんでしたが、実際近くに行って見ると2メートル以上はあるかという立派な供養碑でした。以前倒れていたものを立てたそうです。
この巨石付近には、上片山古墳15基の円墳が見つかっています。これらの古墳は台町古墳群に近いことと、台町古墳の構造が似ていることから支群と見られています。
昭和30年、上片山古墳群の近くの畑で、Sさんが農耕中地下30センチのところから一個の壺を掘り出し、その中には古銭がぎっしりと詰まって発見されたそうです。お金の種類は、唐銭・宋銭・明銭などの輸入銭であるところから15・6世紀に埋められたものと思われます。
金山の上片山は上片山古墳・三面供養碑・古銭の壺の発見などから推測すると、だいぶ古い集落であったことがわかります。そんな上片山にある巨石を見てきました。
高校の通学途中、いつも気になっていた巨石。由来を聞いたら特に無いそうです。残念!
刀で切られたように、半分になってる巨石。
もともと一緒であったであろう、横たわっている石。何人座れるでしょうか?
Mさんの敷地内にある三面供養碑。立てた石碑の年号がないのが惜しまれます。金山歴史散歩によりますと、巨大な角柱石材を用いていること、種子(梵字)などから判断して、おそらく鎌倉時代に片山村を支配した武士階層、あるいは、関係深いもの達の手によって建てられた供養碑と見られているそうです。
後ろから見た三面供養碑。
石碑上部には梵字のバン(金剛界大日)の字が彫られています。裏面にはア(胎蔵界大日)、側面にはサ(聖観音)が彫られています。
三面供養碑とMさん。三面供養碑の高さは2.45m。K1のチェ・ホンマン(218cm)より大きいです。
敷地内にある、梨の一種の巨木。
小富士山の麓、上片山の道路が曲がるところにあります。
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