大聖不動明王堂 丸森町筆甫
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筆
甫の平松地区に不動明王が彫られている巨石があるということで参拝に行ってまいりました。巨石全体が御佛体で、巨石に対する筆甫の人々の信仰厚さがひしひしと伝わってきました。
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伊具郡東根筆甫村 風土記御用書出
の仏閣ページによりますと
「一 不動堂 一 小名 平松 一 勧請 誰勧請と申儀并年月共ニ相知不申候事 一 境内 南北六間半 東西二間半 一堂 東向 高一丈五尺幅三間余有之候石江御佛体彫付候ニ付御堂作無御座候事 一 石階 長廿級 幅三尺 一 本尊 立像 御長一尺五寸余 但前書之
石江彫付候処作者知不申候事
とあり、巨石へ不動明王を彫り付けた作者は当時の方もわからなかったそうです。
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伊具郡史によりますと
「上区平松にあり高サ十五尺幅三十尺石に彫刻せる不動尊体で祭日は三月九日の両回である。」
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大聖不動明王堂の石に関して言い伝えは無いのですが・・・
河北新報で連載し注目を浴びた霊山寺。古の修験者は不動明王堂前を通って霊山寺を往復したといわれています。その証拠に、
筆甫の七坊
というのがあり「延元二年(1337年)北畠顕家が義良親王を伴って霊山城に立てこもった時、霊山の学習坊として、
漆坊
(うるしぼう)・
請願坊
(じょうがんぼう)・
向坊
(むかいぼう)・
中坊
(なかぼう)・
若狭坊
(わかさぼう)・
松ヶ坊
(まつがぼう)・
欄坊
(らんぼう)の七坊が置かれた。現在も残っている地名はその坊跡である」(ふるさとの伝説より抜粋)ちなみに筆甫の七坊のうちの松ヶ坊は現在ダムの名前になっています。
筆甫森林のレストランの看板を矢印の通りお進みください。ちなみに大聖不動明王堂の前の道路は県道45号線です。お堂より先は行き止まりです。もし道路が舗装してあれば、
霊山の大石地区巨石群
や
山神の巨石
が簡単に見ることができるのですが・・・何でも80年前から道路工事が中断されているようで再開の見込みは薄いです。
しばらく進むと、赤い鳥居が見えてきます。手前の石碑は丸森特有の一代塔。
お不動さまのご真言
のうまく さあまんだあ ばあさらだあ まあかろしゃあだの そわたや うんたらあ かんまん
不動明王堂の後ろを見ましたら、大きな石が鎮座しておりました。
近づいて行って見ました。建物は今にも崩れそうなので気をつけてください!赤く丸をつけたところが、御佛体である不動明王です。
右手に棍棒を持っているのがわかります。
不動明王堂の右側は石がごつごつしています。
不動明王御佛体と自分。
筆甫森林のレストランの看板が目印。これを目印に経石にも行くことができます。
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