ツボケ山 丸森町羽出庭
ツボケ山 丸森町羽出庭

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ボケ山(487.8m)は、私が小学生の頃からとても興味のあった山です。なぜ興味があったかというと、山の名前がカタカナだからです。中学・高校になって趣味で東日流外三郡史の津保化一族との関連を独自に調べたりしていましたが実際に登ったことはありませんでした。

謎の山、ツボケ山の山名の由来について

ツボケ山の近くに赤柴山という三角形の山があります。赤柴山は高さが約306m。頂上部はわずかに平になっており、空堀跡や井戸の跡が確認されているそうで、今は、テレビ受信塔が建っています。永承6年(1051年)の前九年の役に、源義家と戦った安倍貞任の防衛陣地の一つといわれていますが、確かな記録は残っていません。この小坊木地区を中心に阿部姓を名乗る家が多く、貞任の末裔と伝えられているそうです(炎はほのかなれど参考)。

八幡書店より発行されている「東日流外三郡史」を調べてみました。54ページには「抑々、東日流先住の創めに阿蘇部族、次には津保化族、次に支及び韓民にして、これに倭人大挙して落着以来、民族併合なして荒吐(あらはばき)族とぞなりける」とあり、その安倍頼時、安倍次郎貞任の曾祖(ひいおじいさん、ひいおばあさん・配偶者側(姻族)の場合はここまでが親族とされる)は荒吐(荒羽吐)族で、その後安倍一族、安東一族、秋田一族に変遷していきます。

安倍貞任が登ったといわれる羽入立石に対し、貞任の防衛陣地があったとされる羽出庭の対象関係、何を意味しているのでしょうか?私にはわかりませんが安倍貞任がキーワードになるかと思われます。

P167に「梵珠の峯を北方に連峯せる中央に半円に高き山有り。人呼んでツボケ山とぞ云ふ。古代より鉢山、鍋盛(森)、源発山らの異名有り。」これは東日流外三郡史のツボケ山(丸森のではない)の説明ですが、その中に鍋盛(森)という山の名前に興味を持ちました。鍋森というと角田市小田にある鍋森山が思い出されます。鍋森山には謎の配石遺構があります。詳しくはこちら

ツボケ山のツボ(壷)は庭という意味があり、羽出庭の庭に関連するのでしょうか?また舘矢間の坪石がありますが、これも関連が薄そうです。


不思議な名前のツボケ山に登ってきました。

丸森のツボケ山との関連を調べた「東日流外三郡史」。残念ながら偽書である可能性が大きいようです。
ツボケ山(487.8m)。意外と高いのですね。写真は段田原峠より撮影。

羽出庭分校に近い、ツボケ山の麓から登ることにしました。
ツボケ山の麓にあった石。
矢印の通り進んでください。
途中、ショベルカーで掘られた穴のようなのがたくさんありました。後で聞いたら猪が掘った穴だそうです。猪のパワー恐るべしです。
途中道が消えたので、尾根沿いを強行に進んで行きました。強行に進んだせいか、細い枝がビタビタと顔に当たってものすごく痛い!
石垣のように見える石が見えてくると頂上に近いです。うーん、大槻教授の火の玉観測センターのあった鍋森山を思い出すなぁ〜。鍋森山についてはこちら。ちなみに外三郡史によるツボケ山の異名は鍋盛(森)というそうです。
遠目には石垣に見えませんか?もしかして人工?
道が無いため、この石を超えて頂上を目指しました。
懐かしいコーヒーの空き缶。何年前のだろう・・・・。そのとき自分は何していたのだろうか?と感慨にふける。
ツボケ山の頂上に到着!三角点があります。
ツボケ山頂上から見た三角形の赤柴山と羽出庭分校。赤柴山には先祖が津保化族である安倍貞任の防衛陣地があったとされます。分校は木の校舎でいい雰囲気の学校です。
ツボケ山の頂上は、平になっていますが、いかんせん、小さい木が邪魔をして見晴らしが限られています。
頂上にある比較的新しい山神の碑。阿部姓の方が何人かいます。もしかすると安倍貞任の末裔の方かもしれません。

こちらも山神の碑
またまた山神の碑
ツボケ山頂上から見た霊峰蔵王山。
福島方面です。
次郎太郎山の荒々しい山肌。平成14年3月に山火事にあい雑木林を消失してしまいましたが、町の方の努力により植林され、すくすくと成長しています。
楽しいツボケ山登山の一日でした。丸森の山は本当に楽しいですね!
Mapion
念願かなってツボケ山に登ってきました。何かがありそうな山ツボケ山に登山してみてはいかがでしょうか?
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