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丸森町金山の西にそびえるきれいな二等辺三角形の山、小富士山。
この小富士山は金山地区の小学校の校歌にも歌われている位、地区民の方に親しまれている山です。山の麓には金山の地名の語源となった蛭田鉄山があります。ここで採れた鉄は、武田信玄にも献上されたとされ、良質な鉄を産出したことを物語っています。
●伊具郡東根金山本郷 風土記御用書出
「一 富士権現社 一 小名 富士山 一 勧請 誰勧請と申儀并年月共相知不申候事 一 社地 南北拾五間 東西六間 一 社 東向一尺石作 △一 鳥居 △一長床 △一額 △一 地主 中嶋與市様御拝領地之内ニ付地主無御座候事 一 別當 一村ニ而相祭候ニ付別當無御座候事 一 祭日九月九日 右拾ヶ條之内印仕候分無御座候事」
小富士山の頂上には風土記御用書出に書かれていた石作りの社が静かに鎮座していました。
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小富士山麓の廃墟と蛭田鉄山
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昭和40年代後半から50年代の前半に営業していた富士湯荘。鉄分の含んだ冷泉が一番の売りだったようですが残念ながら廃業してしまいました。 |
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蛭田鉄山跡
鉄鉱石が採掘されたのはかなり古いことで、武田信玄のかぶともここから産出したと伝えられています。また鉄を産出されたことから、金山の地名の語源となったところです。
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鉄分を含んだ石
鉄分の含有量が60パーセント以上と品位が極めて高かったのですが、手掘りによる旧式の採掘方法であり、鉱塊も小さく、採算割れの状態でした。全生産は1500トン、昭和23年5月に閉山。
この鉄分を含んだ土を利用して金山紬が作られました。特に上片山の土が最適だったということです。地図で調べてみますと上片山は小富士山麓の地区です。 |
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鉱山跡の近くの山神の碑。 |
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「諏訪法性 かぶとの鉄が 出たところ」(金山ふるさとかるた)
戦国時代の名将武田信玄愛用の諏訪法性のかぶとは、ここの鉄をもってつくられたとされています。 |
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工女墓と小富士山古墳
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小富士山の石を運んだといわれる道。こちらからはのぼらないようにして下さい。 |
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小富士山墓地駐車場。 |
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佐野製糸工場関係の墓地。 |
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小富士山駐車場より、約50mくらい行った所にあります。「金山歴史散歩」によると山腹には二基の円墳があるようです。この古墳は台町古墳群と近接した位置にあり、石室の構造が類似することから台町古墳群の支群とみられています。 |
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古墳の荒らされた跡?
歴史散歩には石室の天井部などの露出が目立つとありますが、この石組でしょうか? |
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荒らされたと思われる古墳よりもっと上に行った所に、お富士山第一古墳の石塔が建っています。頂上は第一古墳の上を行った方がいいと思います。 |
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お富士山古墳の石室。
しかしよく見つけたものだと関心します。
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石室内部。ここには何もありません。 |
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「野菊ゆれ 静かに眠る 工女墓」(金山ふるさとかるた) |
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小富士山頂上
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小富士山頂上付近
石を産出した山だけあって、ごろごろしています。 |
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アツアツのカップルのようです。 |
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立っています。 |
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グッジョブ岩 |
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頂上の祠、富士権現社。風土記書出のとおり真東を向いています。 |
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お正月の重ねもちのような巨岩。 |
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どうやってできたのでしょうか?自然の神秘です。 |
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下から見たところです。写真では小さく見えますがかなりでかいです。 |
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芋虫のような巨岩。どのような過程でこのような岩が出来上がったのか興味があります。高さはかなりありますので、岩の上にのぼった際は、落ちないよう気をつけて下さい。 |
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芋虫のような巨岩の上部は、人一人入れるようなスペースがあり、その向いている先には・・・・ |
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丸森町の天然記念物の立石がありました。感激! |
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かつて立石登山道から見えた巨石
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約15年ほど前、立石の登山道からこの三段重ねのような巨石が見えていたのですが、現在は木に囲まれて見えなくなってしまいました。 |
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小富士山の立石
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船のような石。 |
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石の先端が空に浮かぶ月のように尖っています。 |
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ここからみるとあまり尖っていません。 |
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石の需要によって半分に切られた石。 |
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人工的に切られた石。
昔、石切り場だったことがわかります。 |
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小富士山の立石と一緒にパチリ。
石切り場が近いのにも関わらず、この立石は切られずに今にいたっています。 |
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小富士山の大石
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竹藪で見えなかった小富士山の大石が二十数年ぶりに見ることができるようになりました!! |
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横から見たところです。実際は竹藪の奥の方まで石が続いているほど大きな石です。 |
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大石の上に登ることができるよう石段がありました。 |
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小富士山の大石の上部。石の需要によって大石の上の部分が無くなっています。 |
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おそらく、金山神社の鳥居に使われたのではないかと思われますが、真相はわかりません。 |
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小富士山の大石と自分です。 |
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横から撮影してみました。 |
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実は、大石周辺にも枯れ草で隠れてわかりませんが結構大きな石が埋もれています。なんとか枯れ草を除くことができればと思います。 |
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最後に
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金山のシンボル的な存在の小富士山。重装備は必要ありませんので一度登山されてはいかがでしょうか? |
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「塗り絵にも まさるもみじの 小富士山」(金山ふるさとかるた) |
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小富士山の簡単な地図
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登山道はありません。登るとしましたら、小富士山古墳入口から登るか、簡単なのは資材置き場から登る方法があります。 |
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