お舘山(臥牛城) 丸森町金山
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舘山は金山のシンボルともいえるような山で、標高117メートルあります。お舘山の別称として臥牛城または金山城の名前があります。実際に行って地形を見ればわかるとおり軍事上・交通上の要所であり、重要な拠点でありました。
遠くから見たお舘山
金山のシンボル・お舘山。
「お舘山 歴史とともに 四百年」(金山ふるさとかるた)
金山城の案内図
金山城跡の案内図
図を見ると簡単には登らせないような造りになっています。
金山神社登山口
金山城跡へは、金山神社から登ったほうがわかりやすいかと思います。
立派な金山神社の鳥居。石質は花崗岩。小富士山で取れた花崗岩で作られました。郡内で一番大きい鳥居で、昭和13年、高橋運蔵氏が寄進したものです。脚間4メートル、高さ5.2メートル
小富士山については
こちら
「百九の 石の階(きざはし) 金山神社」(金山ふるさとかるた)
例祭は4月17日。石段は佐野製糸場創設者佐野理八翁が寄進されたものです。
大竹メリヤス(靴下工場)の廃墟。
近くには金山保育所跡(もともとは金山小学校だった)があり、工場の仕事が終わるのと同時に働いていたお母さんが、となりの保育所に息子を迎えに行っていた風景は遠い過去のものとなってしまいました。
元靴下工場の上にある池。
友達が「
池で河童を見た!
」と言っていたことから、小学6年まで河童がいると信じていました。
忠魂碑
池近くにある忠魂碑。
「梅林 勲も香る 忠魂碑」(金山ふるさとかるた)
頌徳碑
佐野製糸工場の創立者佐野理八翁頌徳碑。戦前は銅像が立てられていましたが、金属供出のために無くなってしまいました。昭和41年に金山保勝会により台座の上に頌徳碑が立てられました。
「理八翁 偉業たたえる 頌徳碑(しょうとくひ)」(金山ふるさとかるた)
大東亜戦争中撤去された銅像に代わって頌徳碑が建立されました。
金山神社到着!
109段の石段を登ると金山神社が見えてきます。
祭神 天照皇大神 お祭りは4月17日
屋根の色は、以前赤だったような気が・・・
境内にある鎮護石
金山神社境内にある石。昭和29年発行、加川茂平氏集録「故郷金山」によりますと、鎮護石として紹介されています。
鎮護石と自分。
頂上目指して出発!
お舘山へ登る途中にある不老長寿不動の泉。これを飲んで長生きしましょう!
三の丸大手埋門跡。
お舘山を登る途中にある不動堂。金山城の三の丸にあります。宝暦十四年の書上にも「根元之義相知不申候」とあり縁起は不明です。金山鎮護のため鬼門にあたる方角に建てられたものと言い伝えられています。
頂上まであともう少しですが、敵が容易に登ってこれないように作った城なので勾配はかなり急です。だいぶ木を伐採したおかげでスッキリしました。
金山城の石垣。
不揃いだけど芸術的な石垣。
斜めから見た金山城の石垣
崩れる恐れがあるので登らないでください。
「石垣に 昔を偲ぶ 金山城」(金山ふるさとかるた)
金山城の説明板
金山城址の碑
お舘山の巨石
石を割って生えてきたように見える石。
右側の木が年月を感じさせる巨石。下は崖のようになっているので気をつけてください。巨石の上は穴が開いており水が溜まっています。
横から見たところ。蔦がいい味を出しています。
巨石の上に四角い穴が開いています。何の穴か疑問に思っていましたが、Iさんが言うには、以前この穴には忠魂碑がはめ込まれていたとのことです。
巨石と自分。逆光で暗くなってしまいました。
お舘山から見える風景
金山城城主中島公のお墓がある金龍山瑞雲寺。
羽山の巨石の一部が見えます。羽山については
こちら
遠くに見えるは
鹿狼山
工場ができてだいぶ金山の町並みも変わりました。
別名、臥牛城とは?
「寝た牛の 姿に似たり 臥牛城」(金山ふるさとかるた)
全山が牛が寝ている姿に似ている所からこの名が付いたそうです。
写真で見ても牛が臥した形をしているのがわかります。
金山に入り、町の真ん中に見える小高い山がお舘山です。
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