石倉山巨石群 丸森町金山
石倉山巨石群 丸森町金山

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倉山は、杉下山極楽寺山と色々な名称でよばれています。

風土記御用書出によりますと

石倉山御林・杉下山御林という御林(中島の殿様の山)があったそうです。
また極楽寺山に関しては、石倉山に安光山極楽寺(真言宗)というお寺があり、本尊に行基作の千手観音を祀っていたそうです。


●平成22年2月20日、まるもりふるさと館にて「伊具丸森の古代史」の研修会がありました。
講師である古山一明先生の資料によりますと

「石倉廃寺跡 浄土庭園をもつ古代末の寺院跡か?

 伊具盆地では、平安時代末の仏像が残る角田高蔵寺の他に、角田市北岡白岩廃寺跡と丸森町金山の石倉廃寺跡も浄土庭園をもつ古代末の寺院である可能性が指摘されている。丸森町金山の石倉周辺には、「白山堂」「山王」などの天台系寺院に深くかかわるとみられる地名が残っている。発掘調査が行われていないので確証は得られていないが、周辺に残る地名や地形からみて、これら2箇所も古代末の有力は寺院である可能性は非常に高いと考えられる

 前九年・後三年合戦の後、白河の関から陸奥外ヶ浜まで、陸奥の実質的な支配権は、多賀城の国司ではなく奥州平泉の藤原氏が握った。藤原氏とその関係者は、陸奥の強大な財力を背景に、あこがれの極楽浄土をこの世に実現しようと、東北各地の寺院に仏像を寄進し浄土を模した庭園を作らせたという。

 石倉は、伊具と相馬を結ぶ雉尾川流域の街道沿いに位置し、周辺には平永衡の居所跡とされる八竜城をはじめ、大古町遺跡や堂平廃寺など古代の有力な遺跡が多く分布している。伊具丸森周辺の古代遺跡は、まだ多くの謎に包まれている。」


●石とは関係ありませんが石倉山に関してこんな伝説があります。

「戦国時代の終わりごろ、伊達郡の掛田城が伊達晴宗の軍勢により落城し、奥方の掛田御前が三人の息女とともに捕らえられ、金山の中島家に預けられた。中島公が側室にしようとしたが、御前は固く操を守り従おうとはしなかった。立腹した中島公は、子供を亡きものにするぞと脅し、長女の”おえん”を石倉の山中で殺害、それでも聞き入れようとしないので、今度は次女の”おさき”を谷地木戸と田辺の境で、末娘の”おなつ”を大内の伊手で殺害した。嘆き悲しんだ掛田御膳は、操を守り通し三人の後を追い、”鏡井戸”に身を投げて死んだという。その直後から、夜な夜な中島公のまくら元に大むかでが現れうなされることになった。以後、中島家では、悪い事ばかりが続き、これは掛田御前のたたりに相違ないということになり、田辺に長泉寺を建てて、御前と三人の息女を弔ったということである」 ふるさとの伝説より抜粋


上記の伝説に関して金山の歴史に詳しい引地昭夫氏のお話では

○この話は作り話。
○掛田御前は二人いた。
○掛田御前は中島家初代の殿様・奥様・二代目の殿様と一緒に高野山に祀られている。
○掛田家系統の父と中島家系統の母を持つ女性の子が中島家五代目の殿様。
○田辺の長泉寺にある掛田御前の位牌は中島家五代目の殿様が作ったもの。
○掛田御前の家来たちはのちに御預足軽になった。
○「おえん平」は御林平が訛ったものだと思われる。
○この話は幕末の百姓一揆が盛んだった時分に作られたものだと思われる。
○福島県の小手方面に掛田御前伝説に似たような話がある。

ということでした。


そんなわけで色々な伝説のある石倉山に行ってきました。

丸森町大内伊手地区から見た石倉山と鬼形山(鬼石)
火の見やぐらを目印にしてお進み下さい。
第一峰
火の見やぐらがある所から奥に進んで行くと、阿弥陀堂があります。さらに進んで行くと左側に登山道らしき道があります。矢印の通りに行けば、すぐ頂上です。
石倉山頂上の巨石。
同じく
何等か忘れてしまいましたが三角点がありました。
掛田御前の長女おえんが殺害された所のおえん平。本当の所は御林平から訛ったものだということでした。
牛が臥しているように見えたことから臥牛城(金山城)と名付けられました。
第二峰
第二峰の入口にある石。
第二峰の頂上にある巨石。おそらく石倉山で一番大きいかと思われます。木が多くてうまく撮影することができませんでした。
遠くから撮影してみました。重ねた餅のようです。
上から覗いてみました。結構な高さがあるので落ちないように気をつけて下さい。
第三峰
第三峰の頂上。
第三峰は一番石が多いように感じます。
雨宿りできそうな巨石。
絶妙なバランスの巨石。
エジプトのピラミッドのような石。
石倉山では写真のような独特な石を見ることができます。石英が多く含まれているような感じの石でした。
すぐ近くには大高松巨石群のある山があります。
第三峰の頂上から見た大内の町並み。
石倉山麓にある阿弥陀堂と白山堂跡板碑
石倉山の麓にある阿弥陀堂に行ってきました。
おそらく金山で唯一、青面金剛の像がある庚申碑。写真に見られる像のある庚申碑は何故か筆甫に多くみられます。
阿弥陀堂より300メートル行ったところに白山堂跡の石碑に行きつきます。高さ116センチ、幅32センチほどの花崗岩角柱の板碑が見られますが現在、草木が生い茂ってどこにあるのかわからなくなってしまいました。蓮華の上にはバン(大日如来金剛界)が彫られています。

この地にはお寺があったことから、山津波で梵鐘が埋まっていう伝説を聞いたことがあります。自分も探しに行ったのですが、ダメでした。

そんなロマン溢れる石倉山へ登山されてはいかがでしょうか?


※写真は「金山歴史散歩」より
番外・石倉山近くの石神の石碑群
石神の石碑。
石倉山の近くに石神という地区があります。地名の由来を聞きましたら、福島県のいしがみ?と関連があるのではないかということでした。
石神の石碑と金山の山々。
正面に見える三角形の山は小富士山です。
おもしろい地名
鬼形山を中心に、西と東に石倉という地名があります。また、西向に対して東向があるというのも興味深いところです。丸森って本当におもしろい!
Mapion
目印の火の見やぐらの奥を進んでいくと阿弥陀堂、石倉山があります。
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